キャンプにもっていく本

ようやく、職場での落下図書棚戻しも大体が終了して一区切りつけました。気がつけば4か月もこのブログ書いていない。これはまずいと取り急ぎPCに向かってます。
そんな訳で、5月GW、例年の”仲間とのオートキャンプ”に持って行った本を紹介します。

  1. 『元気がでる詩2年生』理論社 2001
  2. 『元気がでる詩4年生』理論社 2002
  3. 『お祈りしたいな』至光社  1991
  4. "Meditation : a practical guide to a spiritual discipline " Thomas McCormick, IVP, 1983

1.2とも著名な詩人のおもしろい詩がいっぱい掲載。声出してよんでたのしい。1では坂田寛夫さんの「おとなマーチ」が楽しかった。「なりたいなりたい。大人になりたい。」と子どもが思うであろう大人のイメージといまの大人である自分のずれがたのしい。2の4年生版では、谷川俊太郎「あい」、震災後の今、深いなっと唸ってしまいました。内なる子どもに戻ったようで、癒されます。実際、子どもと一緒に読むのがお薦め。

『お祈りしたい』は、キャンプする時、持っていく本です。風や水、土に触れるとき、神様に会えるヒントが書いてあり。薄い、子ども向け祈りの本(詩集のよう)です。

MeditationにTreeという章があります。この箇所を読み、キャンプ場の樹木を見ながら、詩編に出てくる樹のイメージから、朝一番「1人の時間」に入れます。

大人も子どもも、このキャンプでの些細な語らいや素朴な遊びで、3・11以降のストレスからリフレッシュを受けたようです。草ぱらで風を受けながら、一人の時間(読書)を大切にするっていいですよ。

「鰹節は好きですか」。朝ドラ「てっぱん」削り職人神田さんのいい言葉

「強うて、同じくらい弱いところ。例えて言えば、カッツオぶしです。カチコチの本枯れ節と、削った花かつお。ある時は、どっしり構えて、ある時ははかなく舞って、毎日何十年そばにおっても、あきないと思う。鰹節によう似てる。そんな、鰹節はお好きですか。」

NHK朝ドラ「てっぱん」でお好焼き屋「おのみっちゃん」での小夜子さんの婚約お祝いの場。「浜勝」削り職人の神田さんが小夜子さんへの熱い思いをうまいこと述べます。「それやったらうまいこといきますわ」。と送り出す言葉を添えて。

かつを節と人生の機微・・・、ついでに信仰も似ているななんて思います。なんかすごい飛躍ですが(苦笑) ここと云う時必要な強さや忍耐と、ここと云う時必要な柔らかさやいさぎよさを共にもっているなんてとこでしょうか。そして、「わたしの力は、弱いところに完全にあらわれる」という逆説。

以下、お正月に発見した、引き出しにしまい込んでいたボツ言葉。陽の目を当ててあげようと思います。ちと恥ずかしいですが・・・

「強くて弱いダシのつくり方」

煮干しではない、かつお節でもない
聖書の一章一節を選ぶ。

はじめに削り器の刃を合わせ、
(調整が悪いと粉になったり厚すぎたりする)
かちこちの聖書をよく見る。

力まないで
手のひらで聖書の意味をおさえるように
黙って 正しく削っていく。
必要節だけ削る。(そうしないと風味を欠くばかりか
酸化のため味を損なう)

つぎに、鍋に水を加えて火にかけ、
煮立ったら火を弱め 削りたてのみ言葉を入れる。
思いこみのアクがでたらすくって捨てる。
もう一度煮立ったら火を止め、サッと手早くこす。
そうやってだされた一番ダシの み言葉。

それが、今日一日の自分を、強く弱わく
ほどよく、正直に味付けてくれる。

材料 みことばぶし(聖書)少々 水4カップ
用意するモノ 静かな時間 削り器 信仰少々
*削り器は自分のモノを使うこと。
*削る途中で削り器の汚れが分かれば取り除くこと

» 続きを読む

コラージュ 今年の私のテーマ

遊びで、コラージュぽいことしてみました。といっても、コルクボードに留めただけの手抜きです。テーマは、2011年の目標とかです。

今年は、何を思ったか、いつになく、しっかり仕事せねばと思っています。そんなわけで、テーマはストレートに「挑戦する」です。頼りがいのある○○さんなんて言われたいですね。(新年、はじまったばかりだから何言ってもいいでしょう?)

Img_6749 ・右上の写真は、サイコロをふってるぬいぐるみが、「整いました」と言ってます。
振り出されたサイコロの目の通り、与えられた枠内で時間どおり、予算どおりさっと整え仕上げるのイメージ。

・真ん中の写真は、とんぼ玉をつくる際の道具。
丹念に、こつこつ手作業のイメージ

・右下は、昔懐かしのマッチ箱
ブレイクスルーは、一昔の意外と身近なもの。そこから点火だ。のイメージ。その下は、切れているが誰かに珈琲を入れている写真。気配りのイメージなんて。

・左上は、富士山をバックに手を挙げている。いつも明るく元気のイメージ。
・左真ん中、手帳。こいつが全てスケジュール管理してくれたらのイメージ。
・左下、椅子はじっくり戦略たててのイメージ。

適当に、駅のプリ―ペーパーからの切り抜き。あくまでお遊びであります。結構楽しい。こんな黙想もよいです。言葉で今年の目標たてるより、いろいろ湧いてくるかも












新年に読む本 Devotional calendar もの

2011 あけまして、おめでとうございます。

今年も良い読書時間をお過ごしください。新年最初に頁を開いた本は、どんな本ですか。?

『影の国に別れを告げて』C・S・ルイス著を本棚から出しました。原書タイトルは、"The business of heven : daily readings from C. S. Lewis"です。ご存じ、ナルニア物語の作者による、一日、一章を読み進む本です。キリスト者の日々の信仰生活を導く本です。米国議会図書館目録を「Devotional calendars」というキーワードで件名検索すると1739冊ヒットします。結構あります。この手の本。(一日一章、日課暦ものは、文字数制限や季節など編集者の味があって面白いカテゴリーの本です)。

まえがきより「特別な意味で聖い場所、聖い事物、聖い日々があるというのはよいことです。注意を喚起し、記憶を掻きたてる、そうした場所や物がなかったとしたら、全ては神聖で、神に満ちているーという思いにしても、早晩単なる感傷にすぎなくなってしまうでしょう」。ー汎神論への答えとして述べたルイスの言葉よりー

一年の暦のはじめの日々を、再び始まる一年の旅のスタートとして、新鮮に歩みたいものです。三が日、早速、気になっていた場所、人へ会うべく街を自転車や電車で移動。自分のギアのきき具合を確認したのでした。

» 続きを読む

ティティヴィルスとツイッター

 近年、教育現場で「リフレクション(reflection)」という言葉がよく使われているらしいです。「ポートフォリオ」(学生の学習記録を保存して評価する方法)なる言葉とも若干関係あるようです。「リフレクション」って黙想以外であまり耳にしていなかったので新鮮でした。意味は「思い起こし」とかでしょうか。いろいろな分野で使うようです。

 ところでこの時期、大掃除とセットで一年のリフレクションされている方も多いはず。私のリフレクションはもっぱら日記帳と手帳を見返すことです。でもブログやツイッターを始めてから、日記を書く機会が俄然減りました。手帳の 短文メモ、ブログ、ツイート、気づくと言葉の切れっ端だらけです。5Bの鉛筆でぐいっと難しい漢字を、そしてまとまった文字をきっちり起承転結で書きたい。そんな気分にふとなります。と云っても書きたいことは意味のないことなのですが・・・そんな時、ちょっとご紹介したい文を一つ。

長田弘著『記憶のつくり方』(晶文社1998年)に、「悪魔のティティヴィルス」という文章あり。アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』に書かれているシトー会修道院長と悪魔との会話からのエッセーです。西洋中世後期、祈祷は空虚な形式と化し、信仰の念はうすらぎ、学問の伝統はどこかへいったかのような、手を使って働くことがなくなり、頭脳をつかうことはさらにめずらしくなっていた時代のこと。

--「おまえは驚くほど勤勉だが、おまえの仕事は何なのか」、「日々の失敗、怠惰、言葉の切れ端、損なわれた言葉などを千袋ずつ、主人である悪の父へもってゆくことが私の仕事です」、「言葉を邪悪にも堕落させるのは何者か」、「ぶらぶらする者、・・・もぐもぐいう者、先を急ぐ者、そうした連中の言葉をあつめます。・・・噂話にふける連中のつまらぬお喋り、自分の栄光のためにしか歌わぬ虚栄心の強い甲高い声も・・・いつも首に長い大きな袋をぶらさげた悪魔のティティヴィルスの話は、古い時代の古い話だ。けれども、この哀れな小さい悪魔の話は古い時代の古い話のようには思えない。なぜだろう。言葉をいい加減なしかたで使って駄目にする。「ぺらぺらと早口にいう罪」がふだんにおこなわれている。そうしたことでは、今日が中世の修道院の不実な日々に、少しも見劣りしないような不実の時代だからだろう」。--と閉じられています。

この夏、ツイッター上の巷では、ツイートが忽然と消えるなんてことがありました。一瞬、ティティヴィルスがぼろを出して、その密かな仕事を公にだしてしまったと思ったのは私だけでしょうか(笑)・・・

ティティヴィルスを忙しくさせないために(半分真面目)、手で書くこととは、手作業の言葉とは何かを考えたいです。

アドベント 自転車で「焼鳥屋」めざす

三日月がきれいな夜。同じ集合住宅の友人と二人、自転車で夜の暗い田舎道を走りました。手袋を忘れて少し指先が寒い!。坂をのぼり、細い脇道を通ると病院や民家の庭に飾られたクリスマスのイルミネーションがさびしくきれい。15分ほどで目指す焼鳥屋さんへ辿り着いて、カウンターでコリコリやりながら、語らいました。こんな素朴なシチュエーション、ひさびさ、お互いまるで独身時代のようです。クリスマス前の時期に、忘年会モードではなく、お互いの一年のあれこれ、ほつれややぶれを「食」を囲んで聞き語るのがいいのです。閉店までおしゃべりして、そして僕らは、なにやら心温められ、でも急いで自転車2台、帰宅したのでした。
 次の日、詩「聖夜-1993年クリスマスにいまは亡き安西均先生に贈る」徳永大(詩集『シン・コン・サン』収)を読んでいました。そして帰宅時の気持ちをなぞっていました。昨日はこの詩のよう、そして聖夜前の焚き火を囲む羊飼いのようだったと。(笑)

「星くずのいっぱい落ちた道を
モール牧師は急いでいた
出来たばかりの三行詩を握りしめ
み告げを受けた牧人のように
・・・・・・・・
善きものはいつも
ささやかに生まれてくる
ちいさい灯に照らされて微笑む
わらくずだらけの希望のように
・・・・・・・」
この詩は讃美歌「きよしこの夜」を作ったモール牧師を素材とした詩です。

この詩は、詩人安西均氏の「聖夜」への応答として弟子徳永さんが作った詩のようです。それは「クリスマス・イヴには いつも、セルマ・ラーゲルレーブの薄い書物「キリスト伝説集」を読み返す」ではじまるしんみりした詩。きっと「神さまというかたがおいでだとすれば、家族そろって食卓を囲んだときに、かならず欠けている あの寂しい誰かのことだ」という4番目の節への答えとして。

鈴木清写真展「百の階梯、千の来歴」

週末、研修の後,MOMAT(東京国立近代美術館)に立ち寄りました。いつものように所蔵作品展「日本の近代美術」の名作たちに挨拶。そして目指すは2階での鈴木清写真展「百の階梯、千の来歴」です。その日は地下1階でトーク・ライブあり(ラッキー)。倉石信乃さん(批評家・明大准教授)と金村修さん(写真家)の対談はそのもの芸術家の蘊蓄で刺激的でした。

鈴木清さん(1943-2000)のことはぜんぜん知りませんでしたが、ひさびさ、心が高揚、揺さぶられる写真展でした。会場には彼が発行した写真集全てが書見台に載せられ閲覧できます。写真集と写真パネルとのコラボ、ちょっとない展示構成です。

東国近美館HPの解説から、以下引用します。ラボ的な独特の世界観です。

-「8冊の写真集それぞれからの作品を紹介するとともに、写真集のダミーや個展会場の手描き図面など、鈴木独特の手作業を通じた創作のプロセスにも注目しつつ、その作品世界の全体像を探ります。みどころ①8冊の写真集をめぐって-鈴木清の写真家活動の重要な柱が、自費による出版を重ねた写真集づくり。みどころ②手の思考―鈴木清の写真集をめぐって注目されるのは、手作りされたダミーの存在。コピーや校正刷りを素材に、カッターや糊をつかって作られた写真集ダミーや個展の展示構成スケッ チを展示」。-看板描きを本業としながらフリーの写真家として活躍。数々の写真賞受賞。そして急逝。人生も独自です。

写真とテキスト、また書物としての写真集などなど、評価の高い写真家というのがよく分かる展示会。他者を通して自己の内面を見つめ確かめる写真のあり方、闇から光を見つめる鈴木清さんの手作業は、在る意味とても宗教的で、レヴィナスの入門書を思い起こしました。途上・未完成をあえて意識しつつの歩みとも感じました。個人的にはデュラスの小説にそって構成された『デュラスの領土』がお気に入りになりました。

飯沢耕太郎著『写真集の愉しみ』(朝日新聞社1998)は写真集をよむという写真集の魅力を余すことなく表現したいい本です。その続編が出るとしたら、鈴木清は真っ先に収録される作家でしょう。今回の個展で、また小石清の『初夏神経』(浪華写真倶楽部1933)を強く思い浮かべました。『初夏神経』も自費出版、シンク板の表紙。詩的テキストと写真の構成。同じ飯沢耕太郎著『写真とことば』(集英社新書2003)には鈴木清について7頁の紹介があります。

トークライブでは、「すぐれた歩行者でありスナップシューター」、「他者への視点、被写体との関わり」、「混沌から混沌へ」、「フォトグラファーとカメラマンの違い」「表裏的」「ドキュメンタリーのようでそうでない」など心にひっかかる言葉をたくさん拾えました。秋の公園で、気づくと風変わりな葉っぱやどんぐりの実をたくさん、ポケットに入れってしまって、でもなんとなくニンマリした時のように。

鈴木清・フォトギャラリー

» 続きを読む

ブラザー・ローレンスこと「復活のラウレンシオ」のこと

読書の秋、どのような読書楽しんでますか。今回は芋蔓辿り読書経験。キリスト教の本紹介です。

一年前に尊敬する某先生から『神の現存の体験』(ドン・ボスコ社)という小冊子を頂きました。読み始めましたが正直難しい、途中で挫折した小冊子でした。この本には、ブラザー・ローレンスとしてプロテスタント教会でも知られた、カルメル会修道士、復活のラウレンシオの残した手紙と談話、小伝が収められている、隠れたキリスト教界の古典です。カトリック教用語、不慣れな人間内面のこと、翻訳調の言葉遣いなどが私にとっての難しさの原因だったよう。

今年、藤原神父の『死域にもどるアルファもオメガも』(2009.7)を読んでいましたら、「復活のラウレンシオ」の信仰が記されているではありませんか。明かりがともされた感です。鈴木大拙がこの修士を紹介している本があるとのこと。『鈴木大拙・続禅選集』の第三巻『禅の見方禅の修行』春秋社。「行者(あんじゃ)ローレンス」(旧版で行者ロレンソ)の小項。これを読むと、概要がわかり易いでした。日本人の感性に落ちるというか、以下、鈴木大拙によるローレンス紹介(藤原神父本からの箇条書きを下敷きにしながら)引用します。禅者が見る視点でしょうか。

  1. 単純な実地の宗教生活、そこには自我執など何もない。
  2. 純粋な宗教的情操を持っている 「彼と手を握って、ともに山雲海月の情を語りたいような気がする」
  3. 神の現前をいつも感得していた。すべてを神の意のままにして、自力を少しも加えぬ人
  4. 卑しき生まれ、学問も知識もなく不器用であったが、修道院に入り、生涯、行者の身で修行した。
  5. 18歳の冬、一種の神秘体験をする。冬枯れの寒木を通して、一度神の面影に接して、神の力と智を感得。神からの気づきの訪れ。
  6. それ以来、八十年の生涯にわたり、幾多の工夫を費やし「神の現前」を養ってきた。だだ信仰だけが頼りになっていった。
  7. 初め10年、恵みをいただいたが、本当の他力信者になり切れなかった。・・自分の余燼(よじん)があった。神の光は見た、けれどもその中に入って生息するまでにはならなかった。ところが忽然と平和が訪れる。
  8. 大悟徹底、他力の信心に決定。
  9. 典座(台所)の仕事、賄い方、人にふれぬ裏方をした。そこに陰徳を積む。「仕事の時も、祈りの時も何らの相異を覚えぬ」「神の愛に包まれ、満たされているので、煩いが消え、相異がない状態に」
  10. 熱烈なる祈りを捧げねば本物ではないとか、むずかしい顔で坐禅して、公安でも考えこまねば道がわからぬとか、何れも物事の実際に触れぬ練習法である。
  11. 超えて、あるのは神の愛だけ、心はまったき空であった。神は自由に働くことができた。この喜びたとうべきなし。が、この喜びを目的として神の現前を願うは所有得で本当の宗教者の心持ちではないと言う。
  12. すべての神秘家がそうであるように、分別知の濫用を避けた。読書を排した。知性による読書が生む行動は何ら価値がなく、人々を部分化するという。かえって意志による行動は一切であるという。
  13. 祈りについて、祈りの時間と生活の時間を区別しなかった。
  14. 読書も理性的思索も退け、あらゆる形式を超脱した「痴聖」ではなかろうか。
  15. 鈴木の結論。ロレンソの境地は、本当の「宗教の光の出るところ」である。

*神の現前とは、神の現存、神の臨在の気づき、そのへんが分かり易い語でしょうか。この理解のもと、再読すると頭に入ってきました。

【マイ読書の壺】分からない時は、時を待ち芋蔓で出会う、違う分野(キリスト者以外の方)からの視点を待つなり。

【小まめ知識】
復活のラウレンシオ(Laurence, 1614-1691)  フランス ロレーヌ州生まれ 俗名:ニコラ・ヘルマン カルメル会修道者 『神とともなる霊的生活』、 『神の現存の体験』、『敬虔な生涯』、『神の聖前に在る修練』どれも収録の違いの大小はあれ同じ内容、タイトルから分かるよう日本語に訳するに労苦があるよう、洋書で味わうのがいいかもしれません。

» 続きを読む

日韓交流作文コンクール アーカイブズと若者

「日韓交流作文コンクール:日韓の新たな100年を照らす若者の灯」(主催:韓国大使館、毎日新聞、審査員、生姜尚中、黒田福美、薄木秀夫、冠木雅夫)の受賞作が毎日新聞(10/24朝刊)に掲載されていました。中高大学生の優秀・最優秀賞6作と小学生による特別未来賞の計7点。どれも力作です。特に、特別未来賞作「日韓のあゆみとこれから」と題した小学6年生君の作文は、アーカイブズ関係者には励みになる文章。広島原爆資料館、ソウル戦争記念館と西大門刑務所歴史館などを見学して、歴史を学び痛みを内面化し、クラスの仲間に使えようとしています。記録、人々の記憶を通して、異なる文化、また他者理解を深め、自分を知り、関わりへつなげていこうとする、そんな若きアーキヴィスト君の手作業と情熱が伝わってきます。他の作文には、講評にあるように、食文化の融合(キムチ丼)、伝統芸能、時間の共有、日韓混合チームがたすきをつなぐ日韓横断駅伝、言葉を学ぶ環境、日韓の旅人など若者の実際的で自由な発想があり、楽しいです。韓国語を学びたい一心で対馬高校へいく若者がいたり、若者がビジョンを描き、進もうとするその力、まぶしい!。その昔、ドイツに長くいた韓国人宣教師が、いつもドイツとフランスの若者の文化交流、交換留学制度を引き合いに出して、日韓交流に携わる人々を励ましてくれていたこと思い出しました。励ます人でした。キリスト教会でも、継続的な次世代への働きかけ、育成って大切ですね。人づくりがないと実は生まれない思わされました。

関連
http://mainichi.jp/enta/art/news/20101024ddm010040008000c.html
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20101004/1286158413


最近読んだいい本『雨降りの心理学』

4889780947_09_mzzzzzzz 拝啓。雨が嫌い、雨の日は憂鬱という方へ。・・・この本を読むと雨降りも悪くないかときっと思うはず!。建築業や、行事・体育会では毛嫌いされる日ではありますが・・・。雨降りを通して今の自分の歩みが見えてくる本です。

『雨降りの心理学-雨が心を動かすとき』  藤掛明著 燃焼社 1,680円

 以前、「雨降りのなか、あなたはどうしていますか。思いついたことそのイメージを絵にしてください」という心理テストを受けたことがあります。数十人が受けたのですが、その結果は、びっくりするほどそれぞれの心を映し当てていたことを思い出します。

 「人は自らの雨のイメージを語る時、そこにその人の心や生き方が実に見事に映し出される」 と語る著者は、大学准教授(描画治療法学会理事、日本犯罪心理学会理事)。 まず序章で雨とは何か、その象徴するもの、性質、人の反応、心の不思議さを語ります。

 そして本題、小説や映画の「雨降り」の場面を触媒に、登場人物を読み解いて、その内面や人生の深みを浮き彫りにします。各章、小見出しを多用して読みやすく、章末結語はそのまま名カウンセラー(著者)から人生へのさりげない処方箋となっています。また優れた文学エッセーとして楽しめます。読み終わって、ふしぎな開放感と安堵感を与える本です。中年期のビジネスマンにとっては、弘兼憲史のコミック「たそがれ流星群」や「人間交差点」などと共有するかの味わいありでしょうか。正論ではくくれない人生後半。挫折や失敗から開き直った後、かならず雨に出くわし濡れる主人公、そして雨に人生を洗ってもらったかのように話は展開し、雨上がり後の爽快感が備えられているとか。最終章は傘を素材に雨を楽しむ方法、人生自立へ、絵本からの気づきのプレゼントです。全体、著者が選んだ本など、ジャンル幅の広さとセンスのよさが光り、持論くささがないのも読みやすいです。

 「雨降り」への普段の反応。雨を避ける、外で雨と対峙する、この二者択一ではなく、傘(自立)を通して雨降り(圧迫的人生)も楽しむ選択肢(成熟)提供とその過程での成長の大切さが、著者の一番云いたいことではないでしょうか。

強行突破や息切れ的人生では雨降りは圧力的に描かれ、おちゃらけ的歩みでは雨が自分と外界を遮断して現実感がない図。それらの中で自己再生されていく場合、その物語は雨が癒し的存在になって描かれるそうです。

雨降りの中へ自分を置くことで見えてくる、自分の姿。社会や人との、はたまた本当の自己との距離感、現実感、コミットメント、デタッチメント、ひきこもり等。妙に自分のことを他人事のように語ったり、からっぽの空虚感や借りものの充実度など、第四章は現代の若者にも通じるテーマです。

沢木耕太郎がジャンボ尾崎を描いたドキュメント『儀式』の解説章では、ノンフィクションであるがゆえに、「雨降りの諸法則」がよりリアルに感じられます。スポーツルポへのすぐれた心理学的コメントとなっています。

個人的には、「強行突破」や「おちゃらけ」などのフレーズ、ちっと「キャッチ・コピー」的かとも思いました。深みのある内容なので・・・、でも分かり易いのがねらいか。この本、きっとじわじわと読者をふやし、化ける本であるにちがいないです。

» 続きを読む

«崔善愛さんと沢知恵さんの往復書簡